青山エイドステーション

« 前の記事 | 青山エイドステーション TOP | 次の記事 »

★健二のパラトライアスロンとの出会いからデビューまでのストーリー★

★健二のパラトライアスロンとの出会いからデビューまでのストーリー★

【トライアスロンとパラトライアスロンとの出会い】

トライアスロんという協議は、小学生の時に同級生だった友達がやっていたのでなんとなく知っていた程度。
その友達の家にあそびに行くと部屋の中にはロードバイクと記念写真が壁にペタペタ貼っていた。その当時は腕にマジックで数字が書いてあり、ブーメランパンツであったという事を覚えている。
何でこんなハードそうな運動をしているのだろう?!でも、なんかたのしそうだなという記憶を残し、それから30年余が経過。
2017年11月にここ青山トライアスロン倶楽部の門をたたき、それから半年後の2018年5月に横浜AGEパラトライアスロんに初出場していた。
なぜ、3種目の混合スポーツであるトライアスロんを始め、なぜパラトライアスロンのクラスに出場しているのか。その当時の自分には想像すらできなかっただろう。
パラのクラスは障害をもっている者が出場できるカテゴリである。私は20才前半で視覚障害の認定を受けた。
病状を告知されるまでは自分が思った時に思ったところで何も迷わず目の前のスポーツを楽しんでいた。
野球・サッカー・スキー・陸上・自転車・水泳などなどなんでもやれば何も考えずやることができた。
障碍者になってから20年位経っているのに、ひとりでできるスポーツはプールで泳ぐくらい。唯一障碍者スポーツを知経験しているのはネットで知ったブラインドスキーだけ。
周囲には障碍者が身近にいなく情報が入りにくい現状。これでいいのかという現実の中で2017年9月開催の「東京都パラリンピック選手発掘プログラム」をたまたま広報誌で見つけ参加したのがきっかけである。
決してパラリンピック選手を目指すためではなく、どんな障碍者スポーツがあり自分にできるスポーツはないかを自ら見つけ出すために参加した。
そこで提供していた団体は、ボート・自転車・水泳。イベントではちょっとした体験会があり、自転車の団体ではロードバイク試乗と初めてのタンデムという二人乗りの自転車に乗ることができた。
自転車走行は約四半世紀ぶりでもあったため懐かしさとたのしさがふつふつとよみがえってきたことを覚えており、ちょっとした感動さえあった。
そして、イベント団体の中には昔の記憶にあるあのトライアスロんがあった。
翌日には、どうすればこれらの障碍者スポーツに取り組めるのかを団体に質問の問い合わせメールをしていた。
なぜこの団体を選択したかは、何よりも一気に3種目も障碍者スポーツに取り組めるという欲求と好奇心のみ。
そこから1か月。自宅・勤務地に一番アクセスしやすいと思われる青山トライアスロん倶楽部を選択し、まず無料体験会に参加。
固定のローラー台で約30分ロードバイクの回し方をご教示。15分程近くの神宮外苑を2週。秋の小雨の中を人生初の暗い中で紐をつかみながらの走行。
そして走りきることができた感動。2週目の終わりには体が重くって重くって。
しかしながらとてもすがすがしさとこれではだめだとという気持ちが残って体験会が終了した。
そして、翌月には入会を決断していた。
これが私とのトライアスロんとパラトライアスロンとの出会いである。


【初レースの感想】

初レースは、締切日ぎりぎりで勢いでエントリーした‘世界トライアスロんシリーズ横浜大会(AGEパらTR6クラス)’。
私は普段ひとりでは走れない・タンデムバイクを公道で走行することは道交法では問題はないものの条例で禁止されているという現状を知った。そのため実戦練習は気軽にはできないという現実。
このような現実を嘆いていては先に進めないので、仕事終わりの当倶楽部のレッスンに通い、休みの日には近くのプールで自主トレ、それでも足りないので早朝ジムで仕事前にエアロバイク・トレットミルで体力維持に努めた。今できることに努力した。
ゆえに、ほとんど知識と実践がないまま勢いでのデビュー戦を強いられてしまった。
何よりも基礎の知識と体力がないことは承知の上ではじめたのでひたすら半年間は情報収集と基礎トレーニングの積み重ね。
この短期間の間にレッスンを受けるごとに体のコントロールがしやすくなったり体つきが変化してくることが不思議で、苦しさよりも楽しかった。
時はあっという間に本番前日。本番は早朝7:15スタートのため前日入り。
レースのために準備した道具を担ぎながらそしてバイク&ハイクさんからご厚意でお借りできたタンデムバイクを車検受付に山下公園へ。
会場はトライアスロんの雰囲気で盛り上がっている。気持ちは遠足気分。楽しそう。
今回、無知な私を大会に向けて支えてくれたのは、積極的に声を掛けてくださったガイド役も務めてくださった倶楽部メンバーでもある高瀬さん。
高瀬さんはブラインドに対しても経験値があり、横浜大会のコース状況・タンデムバイクの調達・本番を想定した練習。そして日常の誘導にも的確な情報をくれた。
これが安心感がありレースに向けて何も不安を抱くことはなかった。
本番当日は先にも書いたようにレース開始は早朝のため、3時間前に起床し食事をとりレース会場へ。問題なく受付が完了した。
だが、スタートまで意外と時間がタイトでまともに準備運動もせず誰よりも遅くスタートエリアへ。地面がゆらゆらしている。あわただしくも気持ちはなぜかルンルン。
たぶん、ほとんどインドアの練習しかしてこなかったので昔のように海で泳いだり、公道を思いっきり走ることがやっとできるという喜びが緊張感の方向に向かわなかったのだろう。
さぁスタートの笛が鳴る。スイムはフローティングスタート。とにかくまっすぐ泳ぐつもりで腕を回転数を上げすぎないようにかく。
パートナと接近しながらも気にせず想定外だとそのまま泳ぎ続ける。だが途中でいつもより息苦しさが・・・いつの間にか3回の呼吸が1回となっておりこれではまずいと元の呼吸回数に戻す。
でも苦しい。そこで左呼吸も取り入れ左右のバランスを状態を確認しながら進む。するとリズムが戻ってきた。
だがここでアクシデント・・・太ももに巻いていたカーツベルトが緩みだし少しずつ下がって足首まで・・・あー外れてしまうマズイ・・・
一度止まってしめなおす。でもでも・・・第一ブイまで3回以上。準備不足にいらだつ。思い通りにならない自分に投げ出したくなる。
いっそ外して泳げばどれだけ楽になるだろう。危険しちゃおうかな。一瞬こんなことがよぎった。
でも横にはここまで付き合ってくれた高瀬さんがいる。ここで投げ出しちゃいけない。あきらめちゃいけない。まだ2種目体験できていないじゃないか。何しにここまできたのか。
気持ちが切り替わった。記録を求めるのではなくこのレースを楽しもう。
レース中にはブイの内側を泳いで警告されている声が聞こえたり(そうか教えてくれるんだ)ロープが外れたと騒いでる声が聞こえたり(みんな苦労して頑張ってるんだ)方向が確認できるかヘットアップをしてみたり
相変わらずゴールまで何回もベルトが脱げそうになり気にかけながらもゴールした。
息は上がってないし足もルンルン。そりゃ当たり前か。
さて次は一番楽しみにしていたバイクへのトランジッション。
直前に購入したビンディングシューズ脱着にはコツがいる。だからペダルにシューズを最初から装着することを決断。
でもここでトラブル。私が先に両足をセットしてしまった。足が浮いた状態。
次にパイロットがセットするのだが装着するまでバランスがとれず車体がゆっくりと傾いていく。あー倒れる・・・
そう私が片足で支えていなければいけなかったのだ(苦笑)やっちまった。考えればすぐわかる事なのに・・・
すぐ左足をペダルから外してバランスを取り、再装着。そりゃそうだなと面白エピソードを残してバイクスタート。気持ちを切り替える。
やっぱバイクはいいや。カーブに傾斜。ブレーキ感。地面のボコボコ感。風邪。におい。走行音。
パイロット役のナビゲートは、カーブでは残り100m/50m/間もなく減速。そして立ち上がりのGOサイン。私も支持確認の返答には気合の入ったはいのサイン。息もぴったり。
走行中・カーブでは他の選手と接触しないように慎重に会費走行。
レース中は、観客の拍手と音楽そして一番励みになったのは声の応援。特に青トラメンバの山崎さんが声をからして応援してくれた。
これが自然と足の動きを加速させる。とてもたのしかった。まだまだ走りたいなとも思った。
さぁ。次はRUN。ついに最後まできた。一番嫌いなRUN。
走る道は狭いし、段差が途中であるし、右と左にとせわしく走るコースが横浜の特徴。
話しには聞いていたが走りにくい。ストレートになってもいつ曲がらなくてはいけないか頭の中がぐるぐるして体と足のポジションを忘れ、パートナーに何度も接近してぶつかる。
途中コーンにつまずいてコケる。パートナーから一度目をつむって走ってみての提案からしばらく自問自答。
足の踏ん張りは・ポジションは・腕の振りは。静香に情報が入ってくる。落ち着いたところでまた目を開けて走ったら普通に走れることがわかる。
ペースはマイペースを貫き、心拍数も一定に保つ。沿道で応援してくれる人もいる。楽しい。
最後のストレートだけちょっとペースを上げてみた。途中あれもう終わりなのかちょっと寂しさも。。。
そして、私の初レースはあっという間に終わった。すがすがしい気持であった。
帰りは、また大荷物を抱えて戻らなくてはいけない。これは想定していなかった。もし疲労困憊の状態だったらきっと帰れない重量。帰るまでがレースだと勉強になった。
ホントここまでデビュー戦を無事完走できたのは、倶楽部オーナーの兼アスリートの関口さん。また様々な技能をもちあわせるコーチ陣。そして一緒にトレーニングをしてくれたメンば。
ひとりでは決してできないこのパラトライアスロン。みなさんに感謝の一言です。
今後はできるだけ実践練習と経験値を積んでいけるといいな。

★健二のパラトライアスロンとの出会いからデビューまでのストーリー★

posted by 2018.05.20 | メンバー

« 前の記事 | 青山エイドステーション TOP | 次の記事 »

このページのトップへ


無料体験お申し込み

お問い合わせ

青山トライアスロン倶楽部メールマガジン登録

青山トライアスロン倶楽部スケジュール

青山トライアスロン倶楽部キッズ公式ブログ

大阪トライアスロン倶楽部

EARTHトライアスロンショップ