青山エイドステーション

★あいちゃんのアイアンマン台湾ツアー!★『ハーフアイアンマン』への半年★

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<トライアスロンをはじめたきっかけ>

「なぜトライアスロンを始めたのか」という質問をよくいただくので、まずはそのきっかけについて紹介したいと思います。

毎年4月に開催されている宮古島のトライアスロンには応援として何度か参加したことがあります。
宮古島の自然、沿道で声援を送る家族や島民、島のこどもたちの「わいどー」と応援する雰囲気を体感し、活躍する選手を観て、「私もいつかこのコースを走りたい!」という思いが強くありました。

そんなあるとき、青山トライアスロン倶楽部に入会する直前の2015年3月に、人生最大のお酒の失敗をしてしまいました。
幸い、ヒトを傷つけるようなことはなかったのですが、たくさんの方にご迷惑をお掛けする結果となり、事態が収拾するまではお酒を断つことにしました。
毎晩、外で飲み歩くような生活をしていましたが、断酒をすると夜は暇になり、朝は早く目が覚めるようになりました。

そこで健康的になるためにもトライアスロンを始めてようと思ったのです。


<大会までの道のり>
「トライアスロンをやろう!」と心に決めた直後に、2015年11月1日に開催される Ironman 70.3 Taiwan に申し込みをしました。
距離は、Swim 1.9km、 Bike 90km、 Run 21km。

開始時点、2015年4月のレベルは
・ Swim: クロール 13m
・ Bike: 高校生の頃から現在まで、毎日通学・通勤でママチャリに乗っている程度。但し、ロードバイクは未経験&未所有。
・ Run: フルマラソン 4h30m
スイムが最重要課題、バイクは早くロードバイクを購入すること、ランはまずは体重を落とすことが課題でした。

オフィスのあるビルにはスポーツジムがあるので、平日は夕方または昼休みを使って毎日のように泳いでました。
ランは自宅近くにある河川敷のサイクリングロード(CR)で出社前に朝ランをしていました。
バイクは7月末に納車され、8月から練習を開始しました。初めの一週間は実走が怖かったので、家の中でローラー台の練習をしていましたが、それ以降は近所にある荒川CRで少しずつ距離を伸ばしていきました。
8月末頃にはスイムも距離は泳げるようになりましたが、どうしてもスピードが上げたかったので、スイム専門のスイミングスクールも始めました。

青山トライアスロン倶楽部では、主にオープンウォータースイミング(OWS)に関するスイムレッスンと荒川CRで行われるバイクレッスンに参加していました。
OWSのレッスンでは、ヘッドアップスイムや集団泳などのレースを想定した内容が盛り込まれていました。これが、後の大会で大変役に立ちました。
バイクレッスンでは、コーナリングや障害物を避けるドリルや実走を行いますが、実走中にコーチがひとりひとりにポジションの指導をしてくださいます。

<2015年10月4日 デビュー戦: 銚子マリーナトライアスロン>
デビュー戦は、初めての輪行の機会でもありました。台湾の大会を控えていたので、オーストリッチのトラベルバックを購入し使用しましたが、持って歩いて移動するには、輪行袋にしておけば良かったと後悔するほど、大変な思いをしました。
会場では、見るからに初心者なのがわかるのか、大会スタッフが手取り足取りセッティングのことを教えてくれました。

銚子のスイムは、ビーチスタートで遠浅の海、750m×2周のコースなので、かなりの距離を歩いて進めるのはスイムが苦手な私にとっては都合がよいコースでした。
1周目を終えて、時計をチェックすると 18分、この調子でいこうと2週目に進み、結局、00:38:35 でスイムアップをしました。
ウェットスーツを脱ぎながらトランジッションエリアに向かう途中、大会スタッフの方が「マイペース、マイペース!」と声をかけてくださって、気持ちが落ち着いたことを覚えています。

バイクはアップダウンの激しいコースとして有名で、とにかく登って降りての繰り返しでした。
平坦なサイクリングロードでしか練習をしていなかったので、急な登りも大会が初めての経験でした。
こんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、ジェットコースのようでとても楽しいコースでした。しかし、DHバーの使用は自粛するように大会ルールに定められているように、コースの途中は突風が吹いていてハンドルが取られそうになる場面があり、気持ちが引き締まりました。結局、ランに1時間強のタイムを残してバイクフィニッシュをしました。


ランは2.5km×4周のコース。大会前にブリック練習をした際、Bikeの後のRunが全く足が動かず、自分でも驚くほど遅い 7’30”/km位のペースで走っていたので、目標は 6’00”/km と考えていました。
しかし、本番では予定のペースよりも速く走り出していたので、ペースを抑えました。
距離を重ねるごとにペースが落ちてしまったのですが、周回コースのスタート直後にいたおばさまと2km地点にいたご夫妻に応援していただくたびに元気が出てなんとか走りきりました。

そして、タイムは、3:23:32。制限時間7分前になんとかゴールしました。

ゴールした後は、いわし汁で温まりながら会場の雰囲気を味わっていました。
しばらくすると速報タイムが大会事務局の前に張り出され、競技者が集まっていました。
列に並び、自分の名前を探し、タイムを確認し、そして一番左の列に目を移すとそこには「1」という文字がありました。
なんと、同じ年代の出場者が多くなかったこともあり、年代別1位をいただいてしまいました。
制限時間ギリギリにゴールしたのにメダルをいただいちゃって、ちょっぴり恥ずかしい思いをしたトライアスロンデビューとなりました。

<メインレース3週間前の出来事>
IM 70.3 台湾まで1ヶ月を切り、本来なら調整を行う期間ですが、私は追い込みをしていました。ちょうど大会3週間前の3連休の最終日、体育の日もいつもの荒川CRをロングライドしていました。
自宅を出発してから2時間半が経過し、羽根倉橋を超えた辺りで、進路が直進か右折か悩んでいたところ、そのまま45度の角度に進んでしまい、50cmほど落差のある空き地に落ちて、周りを囲っていた木の杭に突っ込んでしまいました。
幸い、杭がハンドルとDHバーの間に挟まり、転倒することは避けられたのですが、右手の親指がみるみるうちに青黒くなり、太さが1.5倍ほどに腫れ上がりました。
一方、自転車は衝撃でサドルの角度が変わったほか、ブレーキシューがずれた以外は、特に問題がなかったことは不幸中の幸いでした。
その日予定していた量の半分しか練習ができていなかったので、もう少ししてから帰ろうかなと考えましたが、精神的に動揺していたこともあり、まっすぐ帰宅することにしました。

帰宅後は、休日診療をしている整形外科に向かいました。
レントゲンを撮った後、診察室で医師から告げられた言葉は、「骨折していますね。最低でも3週間は固定をしなければなりません。」でした。
親指が治らないことには大会に出られないので、1週間は安静にして練習を一切行いませんでした。
翌週、期待を胸に整形外科へ再診に行きました。
いつものようにレントゲンを撮影し、診察室へ。張り出されたレントゲンを見て素人の私にもはっきりと分かりました。
医師からは「骨が離れちゃってますね、手術したほうがいいですね。」と告げられ、私の目には涙が溢れました。
その場では回答を保留にして、さらに一週間経って改善していなければ、今後のことを考えて大会を諦めようと心に決めました。
翌週の検査結果は良好。骨折箇所に骨の影が現れていることが確認できました。そこで初めて医師に大会のことを打ち明けました。
「来週の日曜日にトライアスロンの大会があり、それに出ようと思うのです。ランとバイクは使わなければ親指に負荷はかからないのですが、スイムはどうしても使わざるを得ないので固定をして出たほうが良いですよね。」と、出ることを前提に話をしました。
医師の表情は歪んでましたが「そうですね、固定して出たほうが良いですね」と、許可してくれました。
また、いつも装着している固定の板は指先から手首まで長さがあるのですが、レースがしやすいようにと親指の付け根まである短いものを交換用も含めてサービスでくれました。
こうして、大会3週間前に人生初の骨折をしてしまいましたが、医師の許可と協力の下、なんとか大会に出場することが可能になったのです。

<2015年11月1日 メインレース: Ironman 70.3 Taiwan>
4月には予想もしていなかった骨折をしながらのレース出場になりました。
この大会の目標は、「安全を第一に、怪我をせず、完走をすること」と決めて挑みました。

大会当日、スタートの2時間ほど前からトランジッションエリアで準備を行います。
メイン会場のホテルからスイム会場までバスで移動すると小雨が降っていました。
会場では、「強風のため、バイクのコースを90kmから77kmに短縮します。」とアナウンスがされており、バイクコースが短縮になりました。
準備をしながらも、徐々に天候が悪化し、大雨に強風という嵐のような状態になりました。
周囲からは、「デュアスロンになるのかな、ランニングシューズ2足持ってきてないよ、どうしよ。」という声が聞こえてきました。

しかし、スタート時刻までには天気が回復し曇り空に変わっていました。

スイムはビーチからのローリングスタートで1900m×1周のコース。予想タイム順に7名ずつが3秒おきにスタートします。
私は「予想タイム50分以上」の最終グループからスタートをしました。
とにかく右手の親指が殴られないように注意しながら泳ぎましたが、スタートして100mもしないところで、平泳ぎの方に蹴られてしまいました。
半分を泳いだ辺りからは波酔いが激しく、また真っ直ぐ泳げず蛇行して2250mも泳いでしまいましたが、なんとか制限時間内にスイムアップをすることができました。

バイクコースは、島の南端までを2周するコースですが、周回コースの初っ端に少しきつめの登りがある以外は比較的起伏のない平坦なコースです。
ただ、マンホールの周囲が凹んでいたり道が荒れているところも多くあるので、転ばないように注意して走りました。

コースでは選手の関係者や地元の方々が声援を送っていますが、それ以上に大会のボランティアスタッフが応援してくれていて、とても楽しいレースになりました。

ランはトランジションエリアをスタートして、ゴール会場の前を通り過ぎ、島の南端まで行った後、折り返してゴールするコースです。
話をした誰もが言っていましたが、ランスタート直後の1kmは日差しが強く、最後まで走られるだろうかと不安になるほどの暑さでした。
前日の予想最高気温は33度と高く、とにかく熱中症にならないように、エイドステーションでは水分補給と身体を冷やすことに注意しました。

2kmおきにあるエイドを目指してその間をとにかく走ります。声援や頑張って走っている他の競技者をみると、自分も頑張れました。
途中、地元の幼稚園生位の男の子が自転車に乗りながら「加油」と応援してくれたのがとても可愛くて元気をもらいました。

ゴール会場に近づくに連れて沿道の人の数が一気に増えていきます。そして、ものすごい歓声の中、ゴールテープをきりました!

ゴールをすると、いつもお世話になっているトライアスロンショップで、担当をしてくれているYKさんがカメラマンとしていました。
「あいちゃん、お疲れー!」と声をかけてくれて、握手をして、写真を撮っていただきました。
ゴールの先には、ホテルのプールがあり、競技に参加していた人たちがビールをのみながらワイワイしている雰囲気がまた素敵でした。

大会を通して、競技説明会などのレース前後も含めて、皆さんが応援をしてくださるので、辛いと感じることがなく終始楽しいレースでした。


2015年12月
近藤 愛

posted by 2015.12.16 | 固定リンクメンバー

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